民主主義という幻想

2016年の参院選が終わりました。
深夜まで開票所で、目をこすりながら双眼鏡をのぞいていました。


そして、相変わらずの投票率の低さと政治への無関心という、
この国特有の深い病を痛感していた。


民主主義国家は、国民が政治に参加しなければ意味がない。
投票する、しないの自由は憲法が保障しているけれど、投票しない
ことが何を意味するのか、よく考えてほしいと思う。


田原総一郎さんに毎日新聞がインタビューしていたので、引用します。


《僕はね、投票を棄権するのは、時の政府に全て委ねるということであって、政治に何の不満もなくて「現状で困っていない」ということを示す行為だと思っている。実際は、そんな人間はいないと思うよ。必ずいろいろな問題を抱えているんだ。小さな子供がいれば保育園の問題があるし、老人がいれば介護の問題が出てくる。「年金や社会保障はどうなるのか?」という不安もあるはずだ。》「永田町の目」
http://mainichi.jp/articles/20160701/mog/00m/010/001000d



「時の政府に全て委ねる」ということは、政府が何を決めても、何を
しても文句を言わないということ。たとえば、仮に女性の普通選挙権もなかった大日本帝国
法に戻すと政府が決めたら、それに従うということだ。
従わなければならない理由は、政府が権力を持っているから。


【権力】(1)他人を強制し,服従させる力.(2) 国家.政府.
三省堂大辞林


「争点がわからない」という人がいる。でもそうだろうか。
わかろうとする努力はしただろうか。


「私1人ぐらい投票したところで、何も変わらない」という人もいる。
でもそうだろうか。
朝日新聞の調査によると、今回の参院選投票率は54・70%で、
前回の2013年参院選の52・61%を上回ったものの、戦後4番目
の低さだという。民主主義は多数決だけど、これでは有権者の約半分しか
意思表示をしていないことになる。


あなたみたいな考えの人が全員投票へ行ったら、世の中は大きく変わる
だろう。


前回日記を書いてから、4年も経ってしまった。
その間、僕自身は相変わらず定期的に更新できないという深い病を
患っていて、何ら成長していないことに愕然としている。
そして、選挙のたびに「何だかな」とため息が出るのも相変わらず。