九州旅行④日目(弐)長崎→佐賀→福岡

本来の長崎観光へ

軍艦島に上陸した後、常盤港に戻ってくると午後1時を過ぎていた。長崎で一般的に有名な見学地といえば、マニア向けの軍艦島ではなく、キリシタンや出島や被爆地の関連施設だろう。歴史に興味ある人なら常識かもしれないが、坂本龍馬亀山社中結成の地でもある。つまり、見どころが山ほどあるということだ。しかも三大中華街の長崎新地中華街もできれば行きたい。そして、この日の宿は福岡で、その前にTSUTAYAが指定管理で有名になった佐賀県武雄市図書館も予定に組んでいた。となるとリミットは午後4時。まるでオリエンテーリング競技のようにチェックポイントをダッシュで駆け回るようなスケジュールになる。今回の旅行は最初からこんな感じだけど。

奥に世界遺産大浦天主堂。左に文明堂の本店

大浦天主堂を右に数分でたどり着く世界遺産の旧グラバー住宅入口

長崎新地中華街。下調べしていた江山楼新館は提供まで時間が掛かるとのことで断念

水の街、長崎

新名物サバサンド。結局食べなかったが、おいしいのだろうか

長崎市の長崎水辺の森公園ではちょうどこの日、10月27日から西九州新幹線の開業を記念したイベント、「長崎ベイサイドフェスティバル」が始まり、日本最大級の帆船「日本丸」と「海王丸」が寄港していた。そういえば、軍艦島へ行く途中、船ですれ違っていた。日本丸といえば、母方の祖父が生前、僕に作ってほしいと模型を購入した思い出の船だ。しかし、結局、作り方が分からず未完成のまま、どこかへ行ってしまった。

水辺の森公園でお目見えした日本丸海王丸

このあと、車に乗って亀山社中記念館を探すが、ナビはミスリードするは、車では行けないわで、120メートルぐらいまで近づくも結局たどり着けなかった。旅行は入念な下調べが物を言う。次回までの宿題だ。続いて、原爆資料館へ向かう。

長崎原爆資料館。再現された浦上天主堂

爆心地付近で発見。人間の手とガラスが高熱のため溶けてくっついている

浦上天主堂は爆心地から北東へ約500メートルの地点にあり、原爆が落とされた後、天主堂の壁の一部だけが残ったという。現在は同じ場所に建て替えられた浦上教会があり、当時の壁の一部は平和公園内に残されている。原爆資料館を15分ほど見学した段階で午後4時になり、一路武雄市へ。長崎は軍艦島を除き、泊してゆっくりまわるべき場所だと思った。

6・佐賀県

高速に乗って長崎市から約1時間で佐賀県武雄市に到着。結構近い。

TSUTAYAが指定管理する武雄市図書館

蔦屋書店のような図書館。館内にスタバあり

午後7時のレンタカー返却時間が迫っていたので、博多駅へ向かう。レンタカー会社そばでガソリンを満タンにし時間内にギリギリ到着。特に何か言われることもなかった。そして博多駅から徒歩5分ほどの温泉ホテル、八百治博多ホテルへスーツケースをガラガラ言わせて移動する。1998年にオープンというので、割と新しいホテルかと思いきや昭和感が漂う。24年も経っているのだから当たり前か。

まるで札幌駅のような博多駅。違うのは新幹線が乗り入れていることか


さて、荷物も置いたので、博多の夜を満喫しようと博多駅から地下鉄に乗り、天神の屋台へ出向くが、すでにどこも満席だった。有名なフレンチ屋台の「レミさんち」も目の前にあったが、もちろん満席。仕方がないので、有名な屋台「おかもと」の系列、中洲川端店へ。混雑しておらず一安心。店内はおびただしい数の有名人のサイン色紙で埋め尽くされていて、繁盛店を物語っている。「北海道から来たので、福岡らしいメニューを」と店員さんに相談したら、その店員さんも北海道の出身で、しかも同じ旭川だという。福岡でまさかの旭川地元トーク。昔、銀座の楽器店で石狩ローカルネタで盛り上がったことを思い出した。名物の焼きラーメンに舌鼓を打つ一方、から揚げはおいしいけれど北海道と変わらなかった。さらに博多駅KITTEの地下で、食べ損ねたもつ鍋を胃に押し込み、ホテルへ戻る。屋台と中州はまたの楽しみに取っておこうと思う。

名物の焼きラーメンに舌鼓