九州の旅②日目・熊本→宮崎→鹿児島

2・熊本県つづき

宿はサクラマチクマモトという中心市街地再開発の複合施設内にあり、熊本城まで徒歩10分ほどの好位置だった。でもタイトスケジュールで時間に余裕がないので、午前8時半ごろチェックアウトし、レンタカーで好評の二の丸駐車場へ向かう。のんびりと加藤清正像を拝みたかったが仕方ない。

連休や週末に混雑するらしい二の丸駐車場は、平日なのでガラガラだった。目の前の北口から徒歩5分で天守閣ということだったが、平日と土曜は南口のみということで迂回することに。途中、熊本地震で崩壊した奉行丸南東の石垣について、警備のおじさんから説明を受ける。まるでガイド顔負けなのがすごい。続いて、南口で入場料を払い、目新しい立派な鉄骨造のデッキを通ると、天守閣にたどり着いた。

熊本城の天守閣。鉄骨で大規模かつ大胆に補修し、耐震性能を大幅アップ

天守閣最上部の展望台からサクラマチクマモト、JR熊本駅方向

続いて、夏目漱石が1年8ヶ月滞在し、長女が生まれた内坪井旧居へ。地震の補修工事のため、外観のみ(奥さんが)見学し、足早に阿蘇山に移動する。

夏目漱石の内坪井旧居

県道339号ミルクロード経由で大観峰へ。狭い道を上りながら、なぜミルクロードなのかと思っていたら、道沿いの草地にたくさんの茶色い牛がいたので納得する。

大観峰から阿蘇五岳を望む

大観峰ウィキペディアによると、「熊本県阿蘇市にある山である。標高は935.9m。 阿蘇北外輪山の最高峰であり、阿蘇カルデラやそのカルデラ壁、そして中央火口丘である阿蘇五岳をはじめ、九重連山も一望することができる」とある。山だそうです。大観峰が大きな展望台だと思っていた浅薄さをここにお詫びします。確かに写真見ると山の上という気もする。大観峰の滞在時間は30分ほど。トイレ休憩して、宮崎へ県越え。今度は神々がおわする高千穂峡へ。

3・宮崎県

実は大観峰から高千穂峡は、北海道の感覚からすると約70キロ、時間にして1時間ちょっとなので、それほど遠くない。高千穂峡の第1御塩井駐車場は、2022年10月現在駐車代500円で、名所の真名井の滝に最も近いが基本的に満車。そこで第2あららぎ駐車場(300円)に停めるが、台風の影響で遊歩道が閉鎖されていて、狭い車道を10分ほど歩くことになった。10分ほどで中心部に着くので大したことはないが、ここでも真名井の滝のビュースポット、滝見台が閉鎖。仕方ないので別の場所から真名井の滝を撮影したが、まあまあの画角で撮れた。

誰もが撮る真名井の滝

撮影機材は10年ぐらい前に買ったリコーのキワモノカメラGXR+P10 KITを持って行った。でも今回も含めて5回ほど一緒に転んだり、落下させたりしたので、電源が入らなかったり、露出オーバーになったり、ピントが合わなかったりする。なので旅行中ずっと電源を入れ直したり、マニュアルで露出補正をかけたりシャッタースピードを遅くしたりしていた。まあ、仮に完調だったとしても、そもそもP10はコンデジの1/2.3型CMOSセンサーなので、写りはそれ以上の何ものでもない。

真名井の滝を望む(台風で立入禁止の)滝見台を望む

宮崎はチキン南蛮ということで、お昼も大分過ぎていたが、道の駅でまあまあなものをいただく。

道の駅「高千穂」のチキン南蛮

お次は奥さんのリコメンド天岩戸。わが家では例えとして、「あまのいわと」がわりと日常会話に出てくるので、これは行っておかねばならないとなった。真名井の滝からは結構離れているので、スケジュールがタイトな方はお気を付けください。天岩戸神社から天岩戸までも歩いて10分とこれまた離れている。面倒なので天岩戸入り口すぐそばの土産物屋の駐車場に(無断で)停め、またそこから10分ほど歩いてやっと天岩戸に着いた。それにしても今回の旅は10分単位が多い。

天照大神が引きこもって世界が闇に包まれたという天岩戸

土産物屋の駐車場を借りたので、お詫びに宮崎名物のマンゴーソフトを買うと午後4時をまわった。

4・鹿児島県

いよいよ、本日のお宿を目指し、3県目となる鹿児島県は霧島温泉へ約200キロをただひたすら移動する。霧島市桜島の北側に位置するけれど、そこまで行くと翌日の熊本入が絶望的なので、さらに北部の霧島温泉に宿を決めた。延岡から東九州自動車道をぶっ飛ばし、移動時間およそ3時間。温泉手前で巨大な朱塗りの鳥居を見かけ、あれはなんだと引き返す。北海道神宮の北1条通にかかっている第一鳥居ぐらいの大きさだろうか。これは写真に収めねばと焦るが、あたりは漆黒の闇の中、3回ほど仕切り直してもリコーのGXRはとうとう像を結ばなかった。時間がないので諦めて移動する。

謎の大鳥居。暗くてピントが全く合わず

宿にたどり着いたのは午後7時とまあまあなお時間がかかった。温泉街のローソンで鹿児島限定の芋焼酎をお安く調達し、旅のお供にする。

実は通販でも買える薩摩維新。ホテル売店よりも温泉街のローソンが割安です

今回泊まった霧島観光ホテルは、温泉と食事が売りで、実際に期待以上の料理だった。コース料理で接客もよく、これは良い食事だったと思って時計を見ると、いただきますから1時間半ほど経過していた。急いで温泉に入らないと1日が終わる。

鹿児島の料理に舌鼓

あすは謎の鳥居の正体を突き止めて、再び熊本へ。まずは水俣へと向かう。

九州の旅①日目・北海道→福岡→熊本

15年ぶり(ぐらい)の九州

コロナがそれほど騒がれなくなったし、全国旅行支援もスタートするので、僕ら夫婦にも久しぶりに旅行熱がわいてきた。そして紆余曲折の末、飛行機で九州へ行くことになった。奥さんは仕事で忙しいので、僕が計画を立てる。九州は15年ほど前に、高校の後輩男子に付き合ってもらい、レンタカーで福岡、熊本の炭坑や大分の由布院を回ったことがある。その時は、泊めてもらった阿蘇のペンションの息子さんが僕と同い年で意気投合して、阿蘇の無料露天風呂へ一緒に行った。ところが先客は立派な彫り物の入った親分以下、目つきの鋭い若い男や謎の爺さんや若い女性ら5人ほどのヤクザ御一行だった。僕らが緊張しながら湯船に入ると、親分は「どこから来た」と言う。北海道から来たことを知ると、意外にも親切に観光スポットを教えてくれ、「熊本に来たのなら、馬肉は食べた方がいい」とアドバイスをしてくれた。いまだ食べたことがないので、今回は馬肉も食べたい。せっかく九州へ行くのでと、前回行けなかった水俣とか高千穂とか長崎の軍艦島クルーズとか福岡のガンダムとか、あれもこれも行きたい。詰め込み気味にえいやと4泊5日の旅行日程を作ると、ほとんどの県を網羅する弾丸ツアーとなってしまった。

1・福岡県

福岡空港は福岡市内中心部の博多駅まで地下鉄で2駅と近い。札幌だと丘珠空港ぐらいの距離だろうか。近いと便利なのは言うまでもない。

眼下にタモリの故郷、福岡市

飛行機の着陸が30分ほど遅れ、焦りながらレンタカーを借りる。初日は熊本市内のホテルを取った。福岡から熊本へは、高速で100キロちょい。時間にして1時間半ほどだが、スタートが午後1時なので、途中いろいろ寄ろうとするとなかなか時間がない。九州は北海道と同じ、炭坑が盛んだった地域なので、まずは約15年前に回った炭坑もおさらいしたいと思った。マツダ2と書かれたオートマの銀色のデミオで一路隣の志免町(しめまち)の竪坑へ向かう。

旧志免鉱業所竪坑櫓。鉄筋コンクリート製で高さ約47メートル。

続いてお約束の太宰府市太宰府天満宮。他力本願の参拝客でごった返し、たいそう景気が良さそうだ。ついでに僕も10円払って「頭が良くなりますように」と拝む。特別受験合格祈願と書かれたコーナーでは、それぞれ8千円、1万5千円、2万円のコースがあって、絵馬も(ご利益も?)その順に大きくなる。「地獄の沙汰も金次第」という言葉が頭をよぎった。

参拝客でごった返す太宰府天満宮

さらに熊本との県境にある大牟田市の宮原坑へ。隣接する熊本県荒尾市にまたがって隆盛を極めたのが三池炭鉱。15年前はじっくり見学できたが、きょうは月曜日で休業のため外観のみおがむ。それにしても福岡と熊本を結ぶ高速は片側3車線もあった。北海道にはない。九州は福岡、北九州、熊本と政令指定都市が3つもあり、札幌しかない北海道とは経済規模もそれに伴うインフラも全然違うと実感する。

熊本との県境にある宮原坑。明治期から昭和期にかけて三井炭鉱の主力坑口

2・熊本県

宮原坑から2キロも離れていない、熊本県荒尾市万田坑第2竪坑へ。1997年閉山と割と最近まで現役だったことに驚くほどのレトロ感。かの村上春樹も訪れエッセーを書いている。

万田坑第2竪坑。抗口のみ残る第1竪坑のやぐらは、芦別市へ移設

九州の10月24日の日没時間は午後5時半。北海道より1時間も遅いが、午後4時半にもなると完全に西日で、日中の観光はここでおしまい。熊本市内のお宿へ移動する。

大都会熊本市くまモンだらけの熊本市。初日の宿はここ

この写真を撮ろうとして階段を踏み外し、小学生のように膝を擦りむく

熊本市内に入ったら完全に夜だった。高速の下り口から熊本城そばのホテルへ向かうが、交通量が多く、流れも早く、軽くお上りさん気分を味わう。勝手に田舎だと誤解していたがとんでもない。田舎者は僕の方です。かの村上春樹が朗読会を開いたという書店の閉店15分前に奥さんを落っことし、近くにあるはずのホテルへチェックインしようとしたが、迷ってしまって結局奥さんを待つことに。その後、ホテルと直結するサクラマチクマモトで念願の馬肉と対面するも、写真を撮り忘れる。今撮らずにいつ撮るのだろう。しかも、なかなか美味しかったという月並みな感想で申し訳ない。あす2日目も熊本城から始まり、鹿児島県で宿泊するという弾丸スケジュールが続く。

MacBook Pro Late2011 in 2022 光るリンゴ I love the Lighted Apple Logo 備忘録

光るリンゴマークが好きな方は多いと思う。実家に数年沈黙していた2011年式のリンゴが光るマックブックプロ(Late 2011、15インチ)があって、もったいないので復活させることにした。ユニボディのデザインや造り込みはいま見ても秀逸。重いけど。別にゲームやるわけでもないし、用途としてはネットサーフィンとサブスク観賞と文章作成ぐらいなので、11年前のモデルでもそれほど困らない。とはいえ、HDDは起動が遅いし、メモリーは4Gでしょっちゅうスワップが起きているので、ネット情報をかき集めてできるだけ早くすることに。

support.apple.com

●2.2GHzクアッドコアIntel Core i7プロセッサ(6MB共有三次キャッシュ)   Sandy Bridge 2670QM,4コア8スレッド●4GB(2GB SO-DIMM x 2)1,333MHz DDR3メモリ、SO-DIMMスロット2基で

   最大8GBをサポート

●500GB 5,400rpmシリアルATAハードドライブ(オプション:750GB 5,400rpm

    ハード ドライブ、750GB 7,200rpmハードドライブ、または128GB、256GB、

    512GBソリッドステートドライブ)

 

まず、遅いHDDをSSDに変更することにする。2011年当時にオプションで512GBのSSDにできたのはすごいが、ものすごく高額だっただろう。今や1TBでも1万円程度なので、最近できたドスパラへCrucial MX500を買いに行ってきた。メモリーはSODIMM 1333MHzDDR3で最大8GBをサポートとあるが、ネットを調べると定電圧版のDDR3L1600MHz(PC3L-12800)8GB×2=16GBまで動くそうなので、これをアマゾンで購入。ドスパラは品切れ。

さっそくひっくり返して、プラスネジを10個外す。ドライバーのサイズは0番。

プラスドライバー。サイズは0番

ヒンジ側、右から3つは長ネジ

裏ぶたを開けたところ。左下がHDD

HDD上下にネジ止めされているアダプターを上のSSDに付け替え

モリーは2段構成。プラスチックの爪を外側に広げてメモリー2枚を取り出し、逆の手順で取り付け

モリーSSDの交換終了。この時代のマックブックは簡単に交換できてユーザーライク

ハードの作業は終り。続いてOSをクリーンインストール。Late2011に対応する最新のOSはHighSierra(とほほ)なので、以下を参考に

ブート用のUSBを作成。容量は8GBでまったく問題なかった。

USBからHighSierraをブートしてクリーンインストール

無事インストール終了。メモリーも16GBでしっかり認識

うちにある2016年式(すでに旧式)と比較。存在感では互角

光るリンゴ復活






2022年の好きなもの

本年もよろしくお願い申し上げます。スキーを再開して5年目。去年の暮れは回数券を買って、5回リフトに乗った。今年はあと3回はゲレンデに行きたいと思う。それにしてもカービングはターンがしやすくて自分が上達したと錯覚する。困ったものだ。f:id:tranthought:20220104115947j:plain

さて、クルマ好きが集うSNSみんカラのプロフィールページを眺めていたら、お気に入り/好きなもの、の項目があったので、思いついた一部を書き出してみた。すると、自分の志向というか、精神の構成要素みたいなものが透けて見えてきて、恥ずかしいやら気持ち悪いやら。そのうち要素を打ち込むと、自分BOTのような疑似人格がAIにシュミレートされる時代になるかも。

オルダス・ハクスリージョージ・オーウェルフィリップ・K・ディックカート・ヴォネガットポール・オースター柴田元幸森田芳光ケン・ローチコーエン兄弟ダルデンヌ兄弟フランソワ・トリュフォースタンリー・キューブリックテリー・ギリアム今敏大友克洋オネアミスの翼カンヌ映画祭ガンダムセンチネルカトキハジメ)、スタートレック、岡康道、開高健(サンアド)、立憲主義、思想良心の自由、ブルータス、安かった頃のテレビブロス、手ごろな赤ワイン(フルボディ)、アイラ島シングルモルト(クセのあるもの)、グッドイヤーウェルト製法の革靴、本切羽、ニットトランクス、流行に左右されない定番の服、今治のタオルケット、アーチトップのフルアコアルファロメオ1750/2000GTV、MGB-GT、TVR、TWR、プロドライブ、TTE、リンゴが光るマックブック、シンプルなクロノグラフ、Q値1以下の家、カービングスキー(サロモン)、倒産する前のキャノンデールアレックス・モールトン、サンズ時代のケヴィン・ジョンソン、イツァーク・パールマンキリンジ、60年代のプログレロック、60年代のジャズ、バウハウス、デザインミュージアム(サー・テレンス・コンラン/ロンドン)、docomomo、聖跡桜ケ丘のいろは坂、など

2021年の個人的自動車考とその実践

40を過ぎると月日があっという間に過ぎる、というようなことを誰かが言っていたが、まさにその通り。確か前回ブログを更新したのは半年ぐらい前かな、と思っていたら、去年の3月だった。半年どころか1年半以上前だったということに、ひとまず愕然としたのは今しがた。誰も読んでいない、文章トレーニング兼備忘録のような駄文の羅列なので、困ることはないけど。

 

あのとき、僕はたしか水平対向エンジンのメーカーのクルマが欲しいなどとほざいていたが、その後の紆余曲折の末、泣く泣くあきらめることになった。上がりのクルマと目していた20年落ちの某スポーツカーは、右ハンドルの国の日本でなぜか右ハンドルのマニュアル車がほぼ流通していなかったので、別の右ハンドルの国から持って来ればよいと気軽に考えていた。しかし輸入に詳しい車屋さんに聞いてみると、仮に車がタダであっても、右ハンドルの国から日本へ輸入するには、諸経費だけで200万円以上かかるという。100万円のクルマは300万円以上、300万円のクルマは500万円以上かかるということだ。

 

少なくとも僕の経済力では、これからどこかが壊れ続けるであろう、500万円以上の20年落ちのクルマは現実的ではないので、妄想の条件を見つめなおすことにした。幸か不幸かコロナ禍では妄想がエスカレートする。基本はWRCのグループA規定で、ボディ剛性と子どもがいないので2ドア、2リットルターボ、雪国なので4輪駆動、トランスミッションはマニュアルかDCTという条件で探すと、どのクルマも軒並み中古車価格が吊り上がっていた。

 

スポーツカーは生産台数が少ないので、需要と供給のバランスを欠くと暴騰し始める。10年前には200万円程度の個体もゴロゴロしていたランチア・デルタは、今や1千万越えとか、値段が常軌を逸している。デルタなんざ30年以上前のイタリアの実用車ですぜ。このままでは乗りたいクルマに永遠に乗れない。そこで奥さんに拝み倒して、条件に近い割と値ごろなクルマの購入を許可していただいた。そして10年落ちの走行距離7万キロの個体と巡り合った。排気量は条件よりも500CCほどオーバーする人生初のDCTで4輪駆動車。納車からおよそ1か月。それなりに程度は良いが、賃貸で車庫がないので雨ざらしだ。大変申し訳なく思う。

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人生初の4輪駆動車

納車が10月。北国の冬は早い。急いでスタッドレスを探すが、無駄にフロントのブレーキキャリパーとローターが大きく、標準のホイールは19インチとふざけたサイズになっていた。19インチのスタッドレスなんぞいくらするか考えるだけでも恐ろしい。そこでネットの海から情報をかき集めてギリギリサイズの18インチ純正ホイールをヤフオクで1本1万円で落札した。万全のはずなのに、休みの日に取り付けてみると、ホイール内側とキャリパーのクリアランスが1ミリを切っていた。擦る寸前とはいえギリギリ使えるので、今度は18インチのスタッドレスを探す。国産は軒並み1本3万円越えなので、半額ほどで評判の良い、ピレリのアシンメトリコプラスにした。憧れのピレリが半額ですよ。効きは分からないが。

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18インチなのにギリギリ

さらにこのクルマは6万キロでDCTと四輪駆動制御用多板クラッチ(ハルデックスカップリング)のオイル交換が必要だが、中古車屋に問い合わせても交換歴はないという。7万キロ過ぎているのに。そこで今回は時間的余裕がないのでディーラーにて交換してもらうことにした。お見積りは8万円少々となかなかパンチが効いている。この金食い虫がという冷たい視線に耐えつつ、次は自分で交換しますと約束しつつ、来週の交換に備えるきょうこの頃。そのあとは長距離移動が待っている。

2020年の個人的自動車考

 先日、近所にできたスバルのディーラーへ行った。建物はガラス張りで、床はおよそ50センチ角の輝くタイルが敷かれている。内装は明るい木目と白を基調としていて、清潔感にあふれていた。でもそこには、R32型の日産スカイラインGT-Rが復活した1989年、カタログをもらいに日産のディーラーを訪れ、目を輝かせていた中学生はいない。当たり前だけど。あるのはスバル車に乗って、連休初日にスバルのディーラーを惰性で訪れるただの疲れた中年の姿だ。だからセールスマン氏は、エンジン性能がどうの、内装がどうのといった、展示しているクルマの特徴にはほとんど触れない。

「乗り換えるには、残価設定ローンがおすすめです。半数以上のお客さんが利用しています」という現実的な話をしてくる。幸か不幸か、ここで僕は冷やかしの客ではなく、ローンなら何とか乗り換えてくれそうな、現実的な客だった。だって中年だもの。付き合いですが。

 

 問題は、見てくれは中年だが、僕の中身はほぼ中学生のままだということだ。

 

 スバルは、堅実な車づくりをするメーカーだ。3年前までは富士重工という会社で、戦前は群馬県で戦闘機を作っていた。今は、四輪駆動と水平対向エンジン、半自動運転のアイサイトを売りとしていて、グループA時代から世界ラリー選手権WRCでは、ランチャやトヨタ、三菱と互角以上の戦いを繰り広げ、世界中に名を馳せた。今も一部スポーツモデルのボディーカラーとして選択肢に残るWR(多分ワールドラリーの略)ブルーは、そのころのチームカラーでもある。

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カンクネンがドライブしたインプレッサWRC(英国プロドライブHPより)

 ただ、堅実な反面、これまで繰り返し指摘されている残念なところもあって、それは肝心なデザインだったりする。アルシオーネSVX(東京モーターショーのコンセプトカー、アマデウスも含む)や4代目のレガシィなどかつて評価されたデザインもあるが、マツダと違い、どういうわけか長く続かない。それはスバルも承知していて、フィアットバルケッタのチーフデザイナーを務めたアンドレアス・ザパティナスを呼び、次世代のCIとすべく飛行機製造メーカーだったことをいまさら思い出したかのような、スプレットウイングデザインを発表した。

 これは雑多で統一感のない各車種のデザインを、メーカーの一貫したアイデンティティとして統一する作業で、マツダ魂動デザインやトヨタキーンルック、ホンダのソリッド・ウイング・フェースなどと同じものだ。でもヨーロッパの老舗自動車メーカーが100年ぐらいやっている、デザインの遺産を引き継ぐという作業を表面的に真似たものだから、もともとデザインに定評があり、モデル数も限られているマツダ以外はことごとく失敗している。売れることがすべてに優先される日本の自動車メーカーには、共通デザインを市場に浸透させるという、一朝一夕で結果が出ない取り組みは土台無理な話だ。スバルもまたしかり。

 それでは更迭されたザパティナスがひどかったのかというと、B9トライベッカやR1、R2の完成度はそれほど悪くないと、個人的には思う。R1、R2なんて軽自動車に見えないほど上質なデザインではないだろうか。つまりは売れなかったということだ。こうして元の凡庸に戻ったスバルデザインの迷走は、今も続いているということです。オーバーハングは長すぎて、線が煩雑でごちゃごちゃしている。シンプルで張りのある面構成では一切勝負していない。ついでにレボーグなんて、リアのクオーターウインドウのメッキモールが下しかない。マツダ6のワゴンやアウディA4のアバントの処理と比較してみてほしい。スバルのファンも「写真で見るよりも実際に見るとデザインがそれほど悪くない」などという、意味不明なフォローをして、スバルの凡庸デザインに加担し続けている。

 デザイン次第で無敵になるのに残念。今のままではいい車だけど、ほしい車にはならない、というのが僕のスバル車に対する考え。そもそも車なんて高い買い物なのだから、環境負荷を考えれば、直しながら30万キロぐらい乗り続けるべきで、残価設定ローンとかリセールバリューとか考えるのはナンセンスだと思う。世界にスバルと同じ水平対向エンジンを作っているメーカーがもう1つあって、できればそこの20年落ちの車を手に入れて、直しながら一生乗りたいと、中学生からあまり志向が変わっていない僕は、愚かにも考えている。

衣食住について①

 ”あるだけの知恵をふりしぼり、あるだけのつてをたどり、あるだけの体験と情熱を注ぎこんでやっと出発点に立てるくらいのものなのだ、家づくりというのは。

 そして、不思議なことにそれができるという男はまことにもって少ないのである。

 うさぎ小屋とまで呼び捨てられている私たちの日本の住宅というのは、その生産も流通も、非常識な基礎の上に建てられ続けている。

 すべてが砂上の楼閣であるといってもよい。

 家という名の悪夢なのだ。そんな中で、なお敢然と家らしい家、その人間の生と共にある家を建てようとするには、それこそ常識という名の悪夢を振り切り、解体し、自分で調べ、自分で学び、自分で考えながら建ててゆくという方法だってとらなければならないのではないか。

 たとえ、それが非常識な、世間体の悪いものに見えたとしても。”

「笑う住宅(ちくま文庫)」石山修武、P20

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 山の手の高校に通っていたころ、よく住宅を見ていた。僕は裕福な層があまりいない地域に住んでいたから、たいていの家は工務店や良くてハウスメーカーがつくっていた。石山修武先生の言う、記憶に何も残らない、建材のショールームのようなショートケーキ住宅だ。でも自転車で45分かけて高級住宅街に近づくと、実家の近所にはない不思議な印象の家が目立つようになった。それは豪華だ、とか、大きい、というのではなく、シンプルで美しかったりした。今思うと、建築家が設計した家々なのだろう。ミース・ファン・デル・ローエがLess is More(より少ないことはより豊かである)という言葉を残しているけれど、当時15歳の感性に訴えていたのは、ある種の普遍性なのではないかと思う。

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シュレーダー邸(Google ストリートビューより)

 オランダのユトレヒトにある世界遺産シュレーダー邸。この建物の説明は調べればいくらでも出てくるので省略するけれど、1924年に建てられているので、築100年近い。デザインの普遍性をこれほどわかりやすく表現したものはないのではないだろうか。

 住宅の建築費のうち、材料費は3分の1で、残りは人件費だと聞く。僕も40歳を過ぎて、腰を落ち着ける住まいが欲しくなった。クルマが好きなので、組み込みの車庫があると良い。デザインは限りなくシンプルで、パッシブハウスなみに寒くない家。床はツーバイシックスの松板を並べてもいい。壁は白で間接照明。浴室はハーフユニット。予算はないので、程度の良い中古住宅を購入して、できないところをプロにお願いして、なるべく自分の手で住みながら改修したい。土間や間口のコンクリートも自分で打って、家という名の悪夢に挑みたいと思う。

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伝説の約束建築号。学生時代に購入し、擦り切れるまで読みました。