39歳のライダーのこと

ここ数日、39歳の男性のことをずっと考えている。彼は会社員で、国産のスーパーバイクに乗っていた。排気量は軽自動車の約2倍。静止状態から時速100キロメートルまで加速するのにたった2・6秒、最高速度300キロ以上に達する世界最速のオートバイだ。こんな動力性能を持つクルマといえば、スーパーカーの中でも超が付く、ごく一部のハイパーカーで、1億円出しても買えない。

 

彼は連休初日の晴れた土曜日の朝、バイクにまたがり、自宅のアパートを出た。多分、こんな日だし、気の向くままツーリングがしたいと思ったのかもしれない。あまり遠くへ行くつもりではなかったからか、コンバースのオールスターに、ハーフのヘルメットという軽装だった。片側二車線の道路を走る。交通の流れは時速70キロぐらいだろうか。郊外の美しい景観はもうすぐだ。でもある大学病院手前の交差点を青信号で通過しようとしたところ、対向車線の白い乗用車が突然曲がってきて、行く手を塞いだ。彼は、「おいおい勘弁してくれよ」と心の中で叫んだかもしれない。回避する暇はなかった。

 

39歳というと、僕の3つ年下だ。就職氷河期世代で、似たような時代背景を生きてきた。それだけに、こんな晴れた、清々しい連休初日の朝に、人生を終えなければならなかった彼を思うと、悔しくてやりきれない気持ちになる。

 

今夜、彼の告別式が、故郷なのだろうか、となりまちの斎場でいとなまれた。僕もお悔やみを言いに訪ねたかったけれど、商売柄、まちを出て遠くへは行けないことになっている。世界最速のバイクを操る彼はどんな人だったのだろう。どんな装備を身に着けていれば、命を失わずに済んだのだろう。こんな考えが、ふとした瞬間に頭をよぎって、気を抜くと涙が出てくる。

魅力的な瑞芳のまち

雨の台北3日目

前回の文章を読んで、九份の印象をほとんど書いていなかったことに気づいた。でも思い返すと、ほぼ夜に到着⇒雨の中えんえんと階段を上る⇒人ごみに紛れる⇒周りは日本人ばかり⇒阿妹茶樓にたどり着けない⇒あきらめて帰る⇒最悪のタクシー事情、などという経過をたどったので、ろくな印象がないのも仕方がない。

まずは靴を探す

台湾3日目の朝も雨。少し早い時間に瑞芳のホテルで目覚めた僕たちは、チェックアウトして瑞芳駅周辺を散策することにした。

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瑞芳のまちかど


きのう、きょうで九份というよりも、瑞芳のまちの魅力に取りつかれていたからだ。まずは奥さんのずぶぬれの靴の代わりを探す。条件は濡れないことと、安いこと、無難なデザインであること。瑞芳の商店街にはいくつか靴屋があるのだけど、履き口に謎のチェックがあしらわれていたりで、なかなか無難な靴がない。そのうち2店目の棚の下で、埃をかぶった目立たない黒いゴム靴を見つけた。女性サイズのゴム長を足首の上でカットしたような靴だ。これ、シンプルで良いんじゃないと、店のおばさんに身振りで伝えたところ、「こんなんでいいのかい」という感じでおばさんは埃をほろって、電卓で300元と示した。換算しても1000円しないので、OKと言ったら、やたらとお菓子をお土産にくれた。ひょっとすると値引きの余地があったのかもしれない。

台湾を実感できる瑞芳美食街

英語も日本語も、もちろん台湾語も一切話すことなく奥さんの靴問題が解決したので、散策を継続する。

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瑞芳市場


靴屋の隣には、立派な市場があった。市民の食事を支えるべく、新鮮な魚介類や野菜が売られている。

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新鮮な食材が並ぶ市場

魚の切り身の隣には、きれいに下処理されたカエルも並び、あらためてここは日本じゃないなあと思う。カエルも美味しそうに見えるから不思議だ。残念ながらここで買っても調理する場がないので、早々に切り上げ瑞芳駅南側にある美食街へ向かう。

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瑞芳の美食街

商店街には各種料理の屋台が並んでいて、歩くだけでも楽しい。何より日本人がいないのがいい。その先に瑞芳美食広場がある。

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地元と観光客の胃袋を満たす瑞芳美食広場

屋根全体を覆う赤い看板を見ると、何となく縁起が良さそうに思える。中はいわゆるフードコートで、チャーハンとか麺とかスープとか餃子とかいろいろな店が入っていた。午前10時ごろだったのでさほど混雑しておらず、客層は、外国人観光客が少々、ほとんどが地元や国内の観光客といった感じだ。

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ようはフードコート

芸能人のサインを壁に張るラーメン屋のように、各店のメニュー板の周りには、台湾の芸能人の写真が飾られていた。入口そばに胡椒餅の店、瑞芳林記福州胡椒餅がある。

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餅を窯の内側に張り付けて焼く瑞芳林記福州胡椒餅

ここでやっと念願だった胡椒餅をいただくも、あせってほうばり、軽くやけどをする。

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念願の胡椒餅

僕がトイレに行っている間、奥さんは隣の席に座った地元のおばあさんが、鼻水をスープの中にたらし、それを気にせず食べるのを目にした。観光地ではなかなか目にすることのないレアな体験だ。美食広場内には、ロンドンのバタシー発電所が描かれたピンクフロイドのアルバム「アニマルズ」を壁に掛けた、こじゃれたコーヒー店もあった。こだわりの強そうな店主が、ビル・エヴァンスのレコードを小音量で流し、場違い感をひときわ醸し出す。

伊東豊雄大橋トリオ

昼食は台北市内に戻ってから、ということで、松山の誠品生活松菸店へ行くことにした。誠品生活のある松山文創園区は、日本統治時代に作られたタバコ工場の跡地を再開発した新しい文化発信地という。誠品生活松菸店は伊東豊雄設計によるもので、豊雄好きには見逃せない場所だ。

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誠品生活松菸店

建物は全面ガラス張りで、コンクリート打ちっぱなしの柱がグリッド状に縦横に配置され、弧を描いていた。とはいえ、中に入ると札幌駅前や渋谷にありそうな新しい商業施設と同様で、特に目新しいものはなく、誠品書店も西門店と似ていた。

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台北二度目の誠品書店

渋谷ヒカリエに初めて入ったときと同様、どうも歳をとると予想の範囲が広く、いちいち驚かなくなっていけない。感動したのは、トイレがきれいで水量が豊富で、トイレットペーパーを流すことが推奨されていることだ。これも新たな文化の発信、ということだろうか。あと誠品生活の滞在中、ずっとBGMが大橋トリオだった。どうでもいいことだけど。

台湾旅行最後のホテルへチェックイン

いよいよ、台北駅南側にある最後の宿、Flip Flop Hostel Gardenへ向かう。昨日、スーツケースを預けていた場所だ。台北駅から徒歩10分ほど。古いビルをリノベーションしたホテルで、やたらとオシャレな感じだ。

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Flip Flop Hostel Garden

入り口左に受付カウンターがあって、ITベンチャーの若社長風な眼鏡をかけたインテリ青年がマックを開いていた。でもその前で別の宿泊客が談笑していて、受け付けまでたどり着けない。タイミングを見計らっていたら、その宿泊客が韓国語で僕に話しかけてきた。分からない、というジェスチャーをすると、Are you Japanese?と聞くので、そうだというと、受け付け前を空けてくれた。僕たちはチェックインした後、部屋に荷物を運び、お土産を買いにいくことにした。あ、そうそう、オシャレなこのホテルもトイレに難ありだった。

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リノベーションはまずトイレの管からお願いします



 

新北市瑞芳区

台北駅から九份は距離にして約40キロ。移動手段としては、バスとかタクシーとか列車とか、いろいろある。でも、移動時間をあまりかけたくなかったのと、大金使うのがバカバカしいので、僕たちは台湾の国鉄台湾鉄路九份近くの瑞芳(ルイファン)駅へ向かうことにした。

日本の方が作った路線図を見ると、瑞芳駅は、台北駅から11駅目だ。所要時間は各駅停車で50分、快速で40分程度とあまり変わりがない。地下の改札横、券売機前の親切なおじさんにどっちが早いか聞くと、快速(自強号)の券売機へ連れて行くので、そのまま指定席のチケットを購入した。発車時間まで1時間ほどあり、間違いなく宿のチェックイン時間に遅れる。宿に日本語(!)でメールをしておく。

列車はJRの特急のような座席で、窓からは連日の雨に降られる台北のまち並みを見ることができた。土地が狭いからか建物は上へ、上へと積み重ねられ、車の排気ガスで壁はところどころが黒く煤けている。おまけに空は分厚い雨雲が太陽の光を遮っているものだから、ゴチャッとした東京や大阪の鉄道沿いを3割ほど暗くさせたような雰囲気に包まれていた。でもそこが異国情緒ともいえ、外国へ来たという実感が伴う。

瑞芳駅の改札を出ると、目の前には40年ぐらい前の、日本の地方都市の駅前みたいな風景が広がり、どこか懐かしさを感じた。

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どこか懐かしい、瑞芳駅前の風景


駅を出て左へ曲がり、商店街を抜け、基隆川を渡ると2日目の宿、井上天花に着く。コンビニエンスストア向かいの入り口と目される場所へ行くと、宿のスタッフ2人が待っていて、ホテルまで案内してくれた。基隆川横の階段を降りてすぐ左手がホテルの入り口だった。なるほど、初めて来た人は絶対にたどり着けない。建物が密集していて、ホテルが外から見えないからだ。

ホテルは相当古い建物だけど、リノベーションされていて、とてもきれいで洗練されている。部屋に荷物を置いて、さて、九份へどう行くのかとスタッフに尋ねると、駅前からタクシーがあるという。でも土砂降りの上、また駅まで戻るのもしんどいなと思っていたら、「私が送りましょう」と宿の多分オーナーが送ってくれることになった。感謝感激。時間は夕方の5時を過ぎたところ。宿から九份老街までは車で10分ぐらいで、着くころには街明かりが見えた。

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夜の帳が降りる九份のまち

千と千尋」の風景を味わいたいなら、それっぽいので阿妹茶樓へ行くと良い。警察の建物の右横から階段を少し登ると左手にある。でも僕らは違う、セブンイレブン横の階段から登ってしまったので、迷って結局そこへはたどり着けなかった。雨の中、多くの日本人と一緒に階段を登って降りた。日本語ばかり聞こえてきた。まるで日本のどこかの観光地にいるように。

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観光客をながめる土産物屋の犬


雨で靴下は濡れるし、奥様の体調は最悪だった。でも僕はせっかく日本から2千キロ離れた九份へ来たんだし、次にいつ来れるかわからないから、阿妹茶樓に行きたかった。でもこれ以上ここでとどまると、人でなしの鬼畜生になりそうだったので、近くのお茶屋に入って体を温め、宿へ戻ることにした。

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日本人だらけの九份

最悪のタクシー事情

お茶屋を出たとき、時間は夜の8時ごろになっていた。バス停で時刻表を見ると瑞芳駅行きのバスはもう終わっている。そこでタクシーをつかまえようとしたら、まさかの乗車拒否にあった。やっとの思いでタクシーに乗って、行き先を告げると、そのドライバーはカーナビで行き先を検索したあと、「Sorry」と言って僕らを少し下の別のタクシー乗り場で降ろしたのだ。新北市が定めるタクシー料金は、九份から瑞芳駅まで1台205元。プロ意識の乏しい金の亡者たちは、稼ぎの良い台北駅までしか行こうとしないのだ。全体的に台湾が好印象だったので、これはとても残念なマイナスポイントだけれど、日本でこういうことは絶対に起きない。とはいえ、京都で近くの場所へタクシー移動したら、運転手に嫌味を言われたことはある。なおもタクシー乗り場でごねていると(奥様は瑞芳〈ルイファン〉と連呼)、根負けしたのか1台が送ってくれることになった。でも喜びもつかの間、そのドライバーはカーブだらけの下り道を、対向車線にはみ出しながら、とんでもないスピードで走り出したのだ。まるでダウンヒル競技のように。僕らはシートベルトで身体を固定して、窓の上のグリップを懸命ににぎった。対向車が来ませんようにと祈った。

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なんとか瑞芳に生還

 

瑞芳駅まで戻ってきたら、商店街の夜市に行きたかったが、奥様が体調不良のため、テイクアウトで宿で食べることにした。豆漿店で小籠包と豆乳を注文したあと、ケンタッキーフライドチキンみたいな店に入って驚く。店主の男性が、「私、日本語できます」と流ちょうに日本語を話すのだ。ユーチューブで言葉を覚えたけど、まだ日本へ行ったことがないという。「日本で十分暮らせるぐらい上手ですよ」と言うと、その男性は目を細めて喜び、「これ、おまけです」と、注文した骨なしチキンとは別に、おまけとは思えない量のチキンクリスプをくれた。タクシー事件を帳消しにできるぐらい、うれしい出来事だった。

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瑞芳駅そば。日本語ペラペラの店

 宿に戻って、風呂に入って、共通のキッチンで小籠包を食べていると、別の宿泊客が到着した。午後10時過ぎ。50代後半ぐらいのフランスから来た一人旅の男性だった。彼は僕に、キッチンにどんな設備があるか訪ねたあと、夜市へと出掛けていった。

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瑞芳駅の宿「井上天花」の充実した共通キッチン

 

雨の台北から雨の九份へ

2日目の宿は、日本人旅行者が必ず行くという、台北の隣、新北市にある九份にした。厳密にいうと、九份から少し離れた瑞芳というところ。
九份はかつて鉱山として栄え、トニーレオンが出演した「非情城市」のロケ地として有名だ。ジブリの「千と千尋の神隠し」のロケ地とのウワサもある。鉱山好きな僕にとってはたまらない場所だ。

九份の説明は、「ANA Travel & Life」が詳しい。https://www.ana.co.jp/travelandlife/feature/original/vol20/

千と千尋の神隠し」の雰囲気を味わうなら夕方から夜、ということで安直に、現地で宿、という発想だったのだが、そこで想定外の事態が起きることになる。

 

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角度がきついが、上から萬年商業大楼(ビル)と書かれている

萬年商業ビル

中華民国総統府を出た後、西門駅周辺にある、台北の“中野ブロードウェイ”と呼ばれる「萬年商業大樓」へ向かう。

お世話になった方にプレゼントしたい、アウトビアンキA112アバルトのミニカーを探すためだ。とはいえ降り続く雨で気温は上がらず、我々の体温と精力が奪われていくので、まずは西門駅東側の甘味処で暖をとることにした。

萬年商業ビルは、駅から西へ歩いて3分ほど。40年前の地方のデパート的雑居ビル風で、1階には本物なのか偽物なのか不明なブランドバッグや時計が置いてある。奥のトイレはセンサー式の小便器が設置された常識的なものだったが、手洗い場で店のおじさんが入れ歯を洗っているのに軽くショックを覚える。

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一瞬ここはどこの国だっけと思わせる萬年商業ビル内部

4階までエスカレーターで上ると、昔、札幌市北区新琴似にあった、子ども嫌いの模型店を彷彿とさせる模型店やミニカーショップが並んでいた。バンダイのアンテナショップまである。ドン・キホーテ顔負け、天井までプラモデルが積まれた圧縮陳列の森をながめると、そこには懐かしい絶版品がちらほら確認できた。でも手ごろな金額ではないうえに、持って帰るのが面倒くさいので、見るだけで満足することにする。

まちなかの一品20元などという信じられない外食の安さに比べると、輸入品など台湾オリジナルではないものは、原価が決まっているためそれほど安くない、というか日本で買うよりむしろ高かったりする。ミニカー専門店も値段が高く種類がなく、なにより目的の商品がないので、結局手ぶらでビルを後にした。


誠品書店

続いて、代官山から始まって日本各地に増殖しているオシャレ「蔦屋書店」のパクリ先、もといモデルとされる「誠品書店」へ。ロケーションはなんと、あの魔窟、萬年商業ビルの隣だ。このごった煮感が台北の魅力でもある。これまで代官山、函館、京都、梅田、江別の各蔦屋書店を訪ねてきた我々にとって、そのパクリ先は総本山といえるのだ。

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蔦屋書店西門店ではなく誠品書店西門店

そしていよいよ、誠品生活というこれまたオシャレデパートの中にある「誠品書店」にたどり着くと、そこはまるで「蔦屋書店」のようだった。以上。

いざ九份

3日目の宿として予約していた、台北駅の北側にあるflip flop hostel gardenは、チェックインしていなくても一日100元で荷物を預かってくれる。僕らはホステルに邪魔なスーツケースを預け台北駅へ向かった。

 

台湾と民主主義

【台湾旅行2日目】

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台北はきょうも雨

台湾初の朝食

台北2日目。チョーホテルのレセプションカウンター2階にあるフリースペースには、食べ放題のカップラーメンが積まれている。でもここは台湾。おいしく安い料理がそこら中にあるわけで、食べない手はない。

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カップラーメン食べ放題、ジュース飲み放題のチョーホテル

午前8時を過ぎたので、チョーホテルのスタッフに教えてもらった朝食屋、都來也豆漿店(108台北市萬華區內江街77號)へ行く。ホテルから歩いて3分ほど。店先にはすでに4人ほど先客がいて、店の人と台湾語で怒鳴りあっている(ように感じた)ので、注文できるのだろうかと少し不安になった。ここが観光客向けの店、というわけではないことは、素っ気ない店構えと、一切英語が書かれていないメニューと、一切英語を話さない店員を見れば何となく分かる。でもその方がいい。豆漿(ドウジャン)は豆乳のことで、よくわからないまま鹹豆漿(シェントウジャン)(大20元)、と蛋餅(タンビン・20元)を注文し、店先のテーブルで食べることにした。鹹豆漿は塩味がきいていて、蛋餅は薄焼き卵の入ったクレープのようなもので、どれもおいしく、そしてものすごく安い。奥様は、職人気質で眉間にしわを寄せた店のおじさんに、ハオツーと語り掛け、笑顔にさせたと喜んでいた。僕たちは台湾料理の奥深さを感じつつ、中華民国総統府へ向かった。

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スクーターがとにかく多い台北市

台湾総統府に民主主義の学校をみた

チョーホテルから10分ほど東へ歩くと、中華民国総統府にたどり着く。https://english.president.gov.tw/Default.aspx

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ここは1919年に大日本帝国台湾総督府として建設し、現在は国家元首蔡英文総統が執務する場になっている。総統府周辺はマシンガンを持った憲兵が警備していて、非常に物々しい。日本の首相官邸は近づきたくもないので、どんな感じか知りようもないけれど、どこの国も似たようなものだろうか。見学者入り口ではパスポートの提示が求められ、持ち物検査ではペットボトルに入ったミルクティーを一口飲むよう指示された。僕らが日本人だとわかると、日本語を話せるボランティアガイドのおじいさんが案内してくれた。

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台湾総統府の歴史を日本語でご案内

内部は観光客が見学できるように常設展が開かれている。総統が変わるたびに常設展も変わるそうで、今の展示は2016年5月の政権交代でリニューアルされたという若手デザイナーの手による。テーマはPower to the People(人民に力を)。蔡英文政権の姿勢がはっきりメッセージとして伝わってくる。この国で民主主義は与えられたものではなく、勝ち取ったものだから、国民にとってそのありがたみが違うのだろう。

https://www.excite.co.jp/news/article/Jpcna_CNA_20160907_201609070012/

民主主義国家では本来、政府は最高権力者の国民に奉仕するもの。民主主義のイロハのイのようなもので、当たり前のことなのだけれど、どこぞの国では行政府の長が深刻な勘違いをしていたりする。総統府が傘になって雨から国民を守る絵なんて、見ても意味が理解できないのではないだろうか。

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平日開かれる常設展は1階のみの解放だが、月に一度全館開放日があるそうなので、次回訪れたときには行ってみたい。

 

 

 

 

地方自治、ならぬ、台湾は民主主義の学校だった

誰でもそうだろうけど、一度日本を飛び出すと、海外へ行くハードルが一気に下がる。言葉が通じなければどうしよう、などという心配は初めだけ。通じなくても何とかなることが分かれば、海外旅行も国内旅行も大して変わらず、単純に日程と予算との相談だ。僕らは、今年3月、5カ月遅れの夏休みを取って、台湾へ行くことになった。

 

台湾は、下関条約で清国から割譲された1895年から、第二次世界大戦終結する1945年まで、日本の統治下にあった。皇民化運動や抗日運動で多くの犠牲者を出した一方で、経済やインフラなどの基盤整備を日本は行ったという。勉強不足で詳しくは分からないが、台湾の人たちは往々にして対日感情が良いらしい。日本人も毎年190万人が台湾を訪れる。二国間の国民感情なんて、政府が作り出した幻でしかないけれど、それでも少しは歓迎されたいと思うのが人情というもの。

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与那国島から100キロちょっと西側の台湾島

台湾は日本最西端の与那国島から距離にして100キロちょっとで、台湾島の北は亜熱帯、南は熱帯気候に属する。ようは暑そうな場所なんだけど、僕らが滞在する3月前半の3泊4日、台北の天気はずっと雨の予報だった。靴に防水スプレーをしつこくかけ、ナイロンやゴアテックスの雨合羽を用意したが、台湾の雨はそんなに甘くなかった。

 

気の遠くなるような出国手続きを経れば、新千歳空港から台北の桃園空港までは飛行機で4時間と少し。釧路‐札幌間の特急の移動時間ぐらいだ。エバー航空の機内で新作の映画を見ながら、機内食などをつまんでいると、あっという間に着陸態勢になる。ヨーロッパなんかに比べると本当に近い。着陸時間は午後7時をまわったところ。真っ暗な外では、やはりというかなんというか、滑走路が雨で黒光りしていた。桃園空港第2ターミナルの入国審査を出たら、やることがいくつかあった。1つは現金を両替えすること。台湾も日本と同じでカード決済社会ではないので、飲み食いお買いものとあらゆる決済に現金が必要なのだ。続いて、携帯のプリペイドSIMカード。事前に十分な下調べもないまま台湾へ来てしまったし、調べるにしても重い「地球の歩き方」は持ち歩きたくなかった。奥様の携帯はSIMフリーなので、ネットで予約していた中華電信の4GLTE5日間通話少々データ通信無制限のSIMを購入する。300元だから、2019年3月の為替レートだと1000円少々とものすごく安い。これらをこなしてやっと台北市内への移動となる。

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MTRの桃園空港第2ターミナル駅。飛び込み防止のゲートを完備

地下鉄のMTR桃園空港線の改札窓口で、駅員にスイカのような「悠遊カード」(EasyCard)を購入する。デポジットが100元に、チャージが500元の合わせて600元、を2人分。MTRの第2ターミナル駅から30分ほどで台北駅に到着する。台北駅から宿のある西門駅までは2駅なのだけど、MTR桃園空港線台北駅と、西門駅に通じるMTR山新店線の台北駅は離れている上に、遠ざかってしまうため、より近いMTR北門駅へ地下で移動することにした。

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地下鉄で居眠りができるのは安全な証拠

 

西門駅を地上に出ると、H&Mやエアージョーダンの看板が光り輝く、台北の渋谷と呼ばれる若者のまちが広がっていた。雨の中、新しさと古さが織り交ざった、どこか懐かしい商店街のアーケードを5分ほど歩いて、初日の宿となるチョウホテル(町記憶旅店)にたどり着いた。時間は午後9時をまわっていた。ホテル入り口の古めかしい木枠のガラス戸は、実は自動ドアで、古いビルをリノベーションしたセンスの良い建物だった。親切なホテルのスタッフに周辺の観光スポットを教えてもらい、部屋へ荷物を置きに行く。ダブルベッドとシングルベッドがあって、ガラスドアの向こうにはトイレとシャワー室がある。ドアにはトイレの絵が描かれ、“I don't eat paper”と書かれていた。

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知ってはいたけれど、トイレにトイレットペーパーを流さない、という衝撃的な台湾の常識に、しばらく放心する。

 

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眠らない西門。ちょっと夜のまちへ出てみようと、ホテルから近くの24時間営業のスーパーへ向かう。頂好Welcome(長沙店)という名のスーパーは、ビルの階段を降りた地下にあった。飲み物やカップラーメンや果物、洗剤にティッシュペーパーにひととおりのものがそろっていた。そこで驚いたのは周りの客がほぼ日本人だったことだ。長年日本で暮らしていると、みな似たようなアジア人顔の中でも日本人が見分けられる。そして次の瞬間には日本語が聞こえてきて、やはりなと思う。そこで60元の8個入りのパイナップルケーキを買う。200円ちょっとと驚きの安さだが、ケーキ部分がショートブレッドのようでおいしい。これで十分ではないかと思いながら、台湾初日の夜は更けていくのだった。

まさかの香港入国

ロンドンの風景を1つ1つ目に焼き付けながら、というかスマホで窓の外を撮りながら、テムズリンクでガトウィック空港へ向かう。どこでも集合煙筒を持つ長屋が見える。英国はつくづく長屋の好きな国だと思う。郊外の駅のホームにはアートっぽくない即物的なスプレーの落書きがある。どこの国も似たようなものだと感じるのは、歳をとった証拠だろうか。

空港に着いて出国手続きをする。入国に比べると、拍子抜けするぐらい簡単に終わる。すんなり出て行ってもらおうということらしい。出国カウンターの外側には免税店がずらっと並んでいるので、個人的にお世話になった方へのお土産を物色することにする。スコッチウイスキーを買いたいと思っていたのだが、スペイサイド、ハイランド、ローランド、アイラなどと地域別にボトルが並べられていて、どれも結構なお値段がする。日本で買った方が安いぐらいで、しかもブレンドものはよくわからない。しかしせっかくだからと、味が想像できるけどまだ飲んだことのない、アイラのシングルモルト、ラガヴリン16年ものを買う。ちなみにロンドンとアイラ島は遠く離れていて、東京で淡路島土産を買うようなものだが、このさい気にしないことにする。お値段約6000円也。よせばいいのに今、アマゾンで調べたら5759円で送料無料とあった。たいていのものは日本で安く手に入るのだ。

ここから飛行機は約13時間かけて香港空港へ。さらば英国、また来るよ。

香港空港に着いて、新千歳行きの飛行機に乗り換える・・・前に、持ち物検査が待っていた。涼しい顔で通ろうとしたら、係員が僕を呼び止めた。手に下げた土産物=『ラガヴリン16年』を指さして、機内に持ち込めないと言う。ここで飲み干すか捨てろというのだ。そんなバカな。アルコール度数43度もある、700CCのウイスキーをこの場で飲み干せるわけないし、6000円もしたのに捨てるわけにいかない。片言の英語と身振り手振りでごね続けると、たまりかねて別の係員を紹介してくれた。その人によると、持ち込み荷物ではダメだけど、預け荷物なら大丈夫だという。ところがキャセイパシフィックのカウンターは入国審査の先。つまり、どういうことかというと、一度香港に入国して、カウンターでウイスキーを預けて、今度は香港を出国するという、気の遠くなるような手続きが必要になるということだ。

乗り換えの時間まで1時間ほど。入国審査を見ると人の列がとぐろを巻いている。うーん無理かなと思っていた矢先、奥さまが別の係員に事情を話していて、順番を飛ばして手続きさせてくれることになった。入国の目的も聞かれずパスポートにスタンプだけポンと押され、ほぼ素通りで香港入国。でも入国を楽しむ余裕はなく、とにかく広い香港空港で迷う。やっと見つけたキャセイのカウンターにも人が並んでいる。乗り換えまであと30分。日本語の通じるメガネをかけたスタッフが、僕の必死の顔を見て、優先して続きしてくれた。続いてダッシュで出国審査へ。不機嫌そうな女性審査官が僕の顔とパスポートを交互に眺め、一言も言わずにスタンプを押した。初めての香港入国は約10分だった。

休む間もなく乗り換え便のゲートを探す。ずっと走り続けて汗だくだ。しかし新千歳行きのゲートははるか遠い。走って間に合う距離ではない。きょう何度目になるか、香港空港の広大さを呪った。そしてあきらめかけた時、空港内を結ぶシャトルトレイン乗り場があることに気付いた。階段を下り、急いで列車に飛び乗ってぎりぎりゲートに到着した。

乗り換え便のゲートで待っていた妻は「大人だし、間に合わなければ置いていくってお義母さんに電話してたんだ」と冷ややかに言った。直行便なら問題なかったわけだが、乗り換え便をご利用の際は、土産物にお気を付けください。