【旅が始まる】

6月になると、NHKの衛星放送で全英オープンテニス、ウインブルドンのテレビ放送が始まる。中学生の僕はそれをワクワクしながら見ていた。初夏の強い日差し、青い芝生に白いユニフォーム。素晴らしいプレーには観客から拍手が沸き起こる。うるさい観客には審判が「Silence,please.」とたしなめる。サンプラスアガシマイケル・チャンイワニセビッチ、アランチャ・サンチェスにグラフ、伊達公子と、一流のプレイヤーが体力と精神力の限界を極め、頂点を目指すドラマに魅了された。日本とは8時間の時差があるから、放送は深夜になるけど、紳士淑女のスポーツとその洗練されたマナーを生み出す英国に、なんとなく惹かれていた。

中学校の社会の授業。意味もわからないまま「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」と暗記させられた。

英国の正式名称は、the United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandなので、直訳になるわけだが、なぜ連合王国なのか、教師は教えてくれなかった。今思えば多分、教師自身もそれほど興味がなかったろうし、高校受験でも問われなかったからだろう。大学二浪目、仲間ができた。彼は父親が新聞社のロンドン支局長で、英国帰りの帰国子女だった。ウインブルドンの予選なら無料観戦できることや、2階建てバスのことをダブルデッカーと呼ぶことを教えてくれた。釧路で新聞記者の仕事をしていた時、よく行くバーで常連の英国人のジョーと話をするようになった。彼は高校で英語の指導助手(ALT)をしていて、ロンドンの出身だった。父親は弁護士だという。彼は写真が好きで、インスタグラムになかなか美しい風景写真を載せていた。そこでもいろいろな英国の話を聞いた。

今の会社では連続休暇の制度が利用できるらしいので、これはチャンスと妻に相談したら、英国に行くことになった。10代、20代と海外旅行には無縁で、30代も終わりの終わりにようやく、初めて日本を出ることになった。初の海外旅行なんだから、ツアーが安心だと話していたが、旅行1ヶ月前にそんなものは予約できなかった。蓋を開けてみれば、取れたのは、飛行機の往復チケットのみ。香港を拠点とするキャセイパシフィックで、新千歳空港を出た後、香港で乗り換え、ロンドンへ。しかも帰りのチケットがなく日程は3泊6日となった。宿はインターネットで日本人が経営するゲストハウスを予約し、詳しい旅行日程は妻が考えてくれた。

休暇の2日前、3月22日にロンドンでテロ事件が起きた。英国生まれの男が車で、ウェストミンスター宮殿に向かう橋の歩道を暴走したのだ。観光客を跳ね飛ばした後、車から降りた男は警察官を刺し、合わせて5人が亡くなった。僕らの旅行を知る人たちは心配してくれた。でも外国旅行でテロに居合わせて死ぬ確率なんて、微々たるもの。旅行を取りやめる理由にはならない。休暇の前日、夜中まで特集の取材と準備に追われ、旅行準備はほとんど妻に任せっきりだったが、何とか終わらせた。あとは空港から飛行機に乗るのみだ。不安な表情をみせる愛犬(ヨークシャーテリア)を妻の実家に預け、いよいよ出発する。英国出自の愛犬には悪いが、長年思い描いた英国はどんなところだろうと、胸が騒ぐ。