うーむ

tranthought2005-11-26

最近、安岡章太郎の「僕の昭和史」を読みました。アマゾンのレビューにはこうあります。


『不思議な感じを与える昭和史だった。世の中はどんどん移り変わって行くのに立ち位置をほとんど変える事無く、同じ視点で俯瞰していく。それは、簡単そうで大変に困難な事だと思う。こんな事を可能ならしめたものは、筆者の従軍体験かもしれない。その体験記はそんなに詳しくは触れられないが、それがいかに大きいものだったのか読んでいくにつれて読者の私にも実感できる様になってきた。生き残った自分という視点から戦前・戦後を見つめる眼差しはどこか憂いと悲しみと、それでも生き続けているとも言うべき、ちょっとした後ろめたい喜びも混じって、やっぱり小説家だなあと感じさせる文章に仕上がっている。通史というよりも、やっぱり私小説の筆致に近いものを感じるし、その私小説風の個所の手馴れた感じがたまらなくいい。』


レビューは絶賛しているけど、僕はそうは思いませんでした。

当時に三浪までして慶応に入った安岡章太郎が一般的であったかとか、自分の意見を引用で代弁させるとか、日本人特有の集団アイデンティティー「僕ら」を多用している等は棚に上げるとしても、人生において大切な時期を戦争によって台無しにされ、多くの友人が帰らぬ人になったのなら、「残されたあなたはもっと書くべきことが他にあるでしょう?」とずっと僕は読みながら問いかけていました。多くの戦争体験者が亡くなって当時を語る人が少なくなっている上で、自己の体験を記すこと自体、価値あることだと思います。でも、掘り下げることはつらいのかもしれないけど、全体的に軽い、付かず離れずの姿勢が目に付きました。少なくともこれを呼んでも反戦感情は芽生えない。彼の浪人仲間、古山高麗雄とはずいぶん違うなと感じました。