【2017年3月27日中編】

【Barbican Estate】

ガーキンを見物した後、アルドゲイト駅から地下鉄のサークルラインに乗り、バービカン駅へ。

第二次世界大戦の1940年、ドイツ軍に爆撃された焼野原を再開発した、都心回帰のモデルケース、バービカンエステートとセンター、そこで開かれている戦後の日本建築展を見るためだ。


バービカンエステートの詳しい説明は
「ニュースダイジェスト‐知って楽しい建築ウンチク」
http://www.newsdigest.de/news/archive/architecture/3618-barbican.html
「デイリーポータルZ‐ロンドンの「獣」団地と階段にうっとり」
http://portal.nifty.com/kiji/161013197801_1.htm


バービカンはラテン語で「砦」を意味する。バービカンエステートは、1世紀ごろにローマ人が作ったロンドンの原型、ロンディニウム”Londinium”の北の端に位置していて、敷地内には当時の城壁が残されている(という。確認するのを忘れた)。
清教徒革命のクロムウェルや文豪シェークスピアから名づけられた40階建ての高層マンション3つと13のテラスブロック住居棟は、1965年から76年にかけて整備された。

そしてこのほか、欧州最大規模の文化施設、バービカンセンターがある。センターには、コンサートホール、劇場、映画館、アートギャラリー、図書館、レストランが入っている。ブルータリズムの荒々しいコンクリート建造物に圧倒されながら、アートギャラリーの催し、The Japanese House: Architecture and Life after 1945 に向かった。






どんな展示だったのかはまた次回。