同潤会青山アパート

tranthought2006-02-03


慣れ親しんだ風景が消えてしまうのはさびしい。

表参道にその有名なアパートはあった。

明治通りを渋谷から新宿方向に歩き、竹下通りの手前、ラフォーレ原宿のある交差点を右に曲がると、表参道沿いの左手に1926年に建てられた古いアパートが見えてくる。誰もが認める表参道の顔ともいうべき建物だ。正式名称を同潤会青山アパートメントという。

同潤会というのは関東大震災後に住宅供給を目的に設立された財団法人で、青山の他、東京、横浜に15件の鉄筋コンクリート(RC)造のアパートを建て、1941年に解散した。当時RCのアパートは珍しく、水洗便所完備ということもあって、その入居倍率は相当なものだったらしい。ちなみに作家安岡章太郎の母親も青山アパートに応募している。

学生の頃、表参道の並木道とこの古いアパートが好きで、出不精な割にはよく散歩に行っていた。あてもなくブラブラっと歩き、ウィンドーショッピングに疲れたら、目についたお店に入ってコーヒーを飲んだり、ビールを飲んだりする。古い建物のもつゆるやかな空気が、青山という高級なイメージを緩和し、時間の流れをよどませていたように思う。実際そこに行くと、ゆっくりとまったりとしていた。急がなくて良いよと古いアパートに言われた気がした。

しかし、当時最新の設備を誇ったこれらのアパートも今や築70年以上となる。老朽化と、耐震性の問題は避けて通れなくなった。そうして次々と同潤会アパートは取り壊され、青山アパートも例外ではなかった。

青山アパートの跡地は安藤忠雄によって完全に刷新され、表参道ヒルズとなって今年の2月11日にオープンする。たしかに、あれだけの一等地なら、森ビルがオーナーでなくとも、収益性の高い建物に造り替えるのが賢い選択だし、老朽化に疲れ果てていた住民にもその方が良いだろう。多分保存運動なんてものは第三者の無責任なノスタルジー以外の何ものでもないのかもしれない。

しかしそれでも何か割り切れないものを感じる。青山アパートの役割は何だったのか。建替え以外の選択肢は無かったのか。せめて一部を残すことはできなかったのか。ただでさえ、日本の都市景観は古いものを活かさず殺し、無秩序に造り替えられ続けてきたのだから。

表参道ヒルズは世界に名だたる建築家、安藤忠雄によって生み出されたものである以上、世界的に有名な建築物になることは間違いない。安藤忠雄も青山アパートの存在意義について苦慮し、青山アパートの外観を模した部分を造ったそうだ。

しかし、もはや表参道ヒルズは青山アパートではない。
多分そこへ行っても、前とは違って時間に急かされることだろう。そういう魅力を失った表参道に僕は行きたいとは思わない。