日本国憲法19条、21条

君が代時の起立、「義務なし」確認求め提訴へ 神奈川 <朝日新聞>

2005年06月14日06時08分 記事へのリンク

 『12日、卒業式や入学式で君が代を斉唱する時に、起立したり歌ったりする義務はないとして、神奈川県の県立学校の教職員有志が県に対してその確認を求める訴訟を起こすと決めた。7月下旬にも横浜地裁に提訴する。同県教委は昨年11月、君が代斉唱時に教職員の起立を求める通知を初めて出しており、有志らは「強制は憲法違反」と主張している。

  同県教委は10日に、今春の卒業式と入学式で延べ116人が君が代斉唱時に起立しなかったとの調査結果を初めて発表した。今のところ処分はしていないが、繰り返される場合には処分の可能性があることを示唆していることから、事前に判決を求めることにした。

 すでに県立高校、養護学校などの教職員約50人が原告になる意向を示しているという。』



法学としては基本的なことで恐縮だが、憲法は対国家規範と呼ばれる。つまり、その役割は、『権力は腐敗する』という歴史の教訓から、国家権力を監視、制限して国民の人権を守ることにある。力のあるものから力のないものを守るということだ。そして憲法最高法規*1だから、これに違反する法律や処分は無効となる。上の記事でいえば、県教育委員会は力のある国家権力側、教職員は力のない国民側ということになる。

さて、日本国憲法は19条で思想良心の自由、21条で表現の自由を保障している。
思想良心の自由とは読んで字のごとく、心の中で何を考えても自由ということ。表現の自由は、その思想良心の自由をもとに、集会をしたり、ビラを配ったりといった、積極的な表現をすることの自由を保障している。ここで重要なのは、集会に参加しない自由、ビラを受け取らない自由といった、消極的な表現の自由をもこいつは保障していることだ。よく考えれば当たり前だ。
なお、これらは第二次世界大戦時の治安維持法による弾圧の苦い経験から特に設けられたもの。

で、今回の記事を見ると、県教育委員会君が代を強制し、教職員はそれにしたがわないという構図が見える。君が代を肯定するか否定するかは、まさに思想良心の問題だから19条によって保障されるし、それについて起立する、しないという自由は21条によって保障されている。

ここに議論の余地は無い。つまり、どちらの自由も保障されないかぎり、憲法に違反する。

自由の保障とは、何ら不利益を与えられないということだから、教育委員会がこの件に関して、教職員を処分するのは明らかに違憲となる。
日の丸、君が代の解釈云々の前に、機械的違憲と判断できる。

しかし、国旗国家法案が提出された際、強制はしないという前提(付帯決議?)があったはずだが、どこへ行ってしまったのだろう。

*1:実定法体系の中で最も強い形式的効力をもち、その頂点にある法規。現行憲法憲法を国の最高法規とする。(大辞林