こんな時でないと



*一番上の写真と本文の関係は微妙です。




18日未明、父方の祖父がこの世を去った。


祖父にとって僕は初孫で、ものすごくかわいがってくれた。


3歳まで僕は父の実家があるこの街に住んでおり、武庫川に出る時に必ず上る丸い輪がいくつも刻まれた
コンクリートの坂、卓球をしに行った近所の会館やそこの娘と遊んだこと、道路わきにある蓋のない苔む
した側溝、外に出ると必ずかいだ野焼きのようなこげくさいにおいを今でも覚えている。親戚がみな近所
に住んでいる宝塚市高松町というこの地区全体に、僕は育てられたと言っても言いすぎではない。どうい
う理由で母の故郷の北海道に来ることになったのか忘れてしまったが、その後ここはめったに来ることが
できない遠い場所になってしまった。


祖父にしてみれば、これまでスープの冷めない距離にいていつでも会えた孫が、5年に1度会えればラッ
キーという関係になるのだから、どれだけ悲しんだことかと思う。


最後に会ったのは今から7年前、大学2年の時だ。その時別れ際、僕は祖父に「行ってきます」と言った。
ここは帰ってくるべき故郷だし、自分のことをこれだけ大切にしてくれる祖父や親戚の気持ちに応えたか
ったからだ。この言葉に祖父はとても喜んでくれたが、結局はそれが最後になってしまった。
今思えば何て残酷な言葉だろう。


通夜の寝不足で迎えた告別式、親戚が僕に「こんな時でないとなかなか会われへんなあ」と言ったとき、
返答に困った。祖父は僕を責めずに「しゃあないことや」と言ってくれるだろうか。


祖母はすでに僕が小学生の頃に亡くなっていて、宝塚にはもう直系の親戚はいない。
でも「関係あらへん」と祖父なら言う気がする。いとこや叔父叔母が住んでいるこの街に、これからは毎
年帰れば良いのだから。